開示の記事掲載が遅れた事情を説明しますと、もともとは前半の1つだけを書いていました。ただこっちに来て早慶とか明治とか中央とか千葉とか金沢とか、いろんな元受験生の話を聞いて、受験があくまで人生の一つの過渡期にすぎない以上、2つ目の話を欠くことはできないという結論に至りました。
それは、
「浪人して落ちたら言い訳はできないし、
誰も最後には悲しんでなんてくれないから、
自分なりに点を上げて狡猾に受かれ」
ということです。
4月もほぼ終わりに近づき、センター試験まで約9か月になりました。浪人生活はいかがですか。不合格が決まった直後の「来年は絶対に第一志望に受かってやる」という本心からの強い決意のもと行動できていますか。
早朝の5時・6時台に起床して朝8時には自習室で勉強する。授業中は一瞬たりとも気を抜くことなく講師の発言から真に自分の成績向上に結び付くものだけを選び出す作業に集中する。食事は10分で必要最低限に済ます。友達との歓談や遊びなど一切入れない。。A判定なんて当たり前でむしろ1位じゃなくて号泣慟哭嗚咽、常に教材の情報収集と学習リズムの自己点検を怠らず、一切の妥協抜きに勉強し続ける。
そんな合格確実の浪人生ライフを送っているでしょうか。
いたら見てみたいですね。
そんな生活に10か月も耐えられる浪人生は、いません。
僕が浪人生だったころも、現実の友人は必ず何かで気分転換していました。twitterで見てても(というか、twitterにいる時点で、とも言えますが)、みんな適度に気を抜いて、たまには授業も欠席して、友達と遊びに行ったりして、楽しく過ごしていました。僕もよく自習室で勉強しながら10分間隔ぐらいでツイッター見てました。全然集中してないですね。
でも、それで正しいんです。
人間の決意は、それほど強くはありません。合格が第一目標だからといって、生活をすべて勉強に捧げられるわけがありません。読書が好きでも24時間ぶっ続けで本を読むことは普通できません。5時間読んで、少し飽きてお菓子でもつまみながらのんびりして、また3時間読んで、眠くなったからちょっと寝て、2時間読んで、ご飯食べて風呂入って…という風に、どんな作業であれ最終的な量として大量にやりたいんだったら
細切れにすることは必須のはずです。
「
機械ですら熱効率は3割」という事実を教えてくれた先輩がいました。僕なりに前向きに事実を接合すると、「
イチローですら打率3割、機械ですら熱効率は3割」です。人間が1日の10割を勉強もしくは何かの目標に捧げられるなんて、それは生物としての構造からしてほぼ絶対に無理でしょう。決意してできもしない10割をやるより、課題を細切れにして、毎日の生活の中に騙し騙しの3割を入れていくことが本当に重要です。
読書したり、友達と喋ったり、気分転換に外食に行ったりしないで、巨大すぎる体系――受験の中で精神を安定して保つのは至難です。それは12月から3月にかけて、僕のそれが上手くいっていなかった時期の記事を見れば分かってもらえるかと思います。
そう、
絶対に合格したいけどたまには遊ぶ、
というのは全然かまわないんです。
ただ。
だからこそ、
「あなたは受かると思ったのに」と声をかけられる権利などあなたは絶対に持つことはないということを覚えておいてください。
落ちたあなたには必ず改善できる点があった。それが試験までの話であれ、試験中の話であれ、まだあなたの点数には伸びる余地があって、あなたはそれを伸ばすことをしなかった。
現役のときに僕は、自分の中で0.4点足らずの不合格をそう位置づけました。
「それだけの点数で落とされるなんて受験って厳しいね」といろんな人に声をかけられました。でもねそれは間違いです。受験が厳しいんじゃなく、僕らが甘すぎるだけです。突き詰めた受験生は合格最低点では固まりません。それよりはるか上のラインで、まだ上を見ているけど届かないといった感じで留まっています。
自分は同情される対象などではない。努力が足りなかった。
そして浪人してまた東大に落ちることは許されない。
僕が浪人時に考えていたものはそれでした。
(だから、茶々さんが言うような「理不尽だ」の感覚は僕にはあまり分かりませんでした)
以上が「言い訳ができない」ことについての話です。
そして「誰も悲しんでくれない」ことの説明については短くまとめます。
「人間は究極的には一人なんだ」と言っている先輩がいて、それが正しいのかどうかは僕にはまだ判定できないのですが、少なくとも受験に関してはそうです。3年経てばあなたが進学した大学は誰にとっても「
まるで当たり前のように」なります。人はそれほど他人を気にしては生きられません。受かっても実は人間は一人ですし、受からなくても一人です。受からなくて、誰も悲しんでくれなくて、しかも一人な時の心境は、ちょっと僕には想像がつかないです。というより、想像をしたくないです。
「言い訳」と「他人の同情」についてこれだけ踏まえた上で、話をつなげます。
だからこそ「
狡猾に」点を上げてください。
あなたが勉強していないのに点が上がると、他人は文句を言いますが、受験的には何の問題もありません。それはそれとして「
やった。何か全然やってないけど現代文が安定し始めた。今学期の現代文の時間を英単語に回そう」と前向きに捉えて下さい。そして、勉強してないボロが出始めたときにも、別の面で結局は点が上がった状態でいられるようにして下さい。
授業に出るべきか出ないべきかは好きにしてください。
予備校の教材使うか使わないかは自己判断してください。
サッカーやってたら見るか見ないかも好きにしてください。
「
他人にどう思われたかに関係なく、自分自身の問題として
どれだけ点を上げるために自作の策を講じてそれを本番に実行できたか?」
浪人したんだからせっかくなら受かりましょう。他人がどう思うかも、自分がどう見栄えよく失敗するかも考える必要はないと思います。
狡猾でいいので受かるための工夫と練習を最後まで断続的に続けて下さい。
あなたはそのために浪人したのです。そして、もう1つの伝えておきたいことは、
「君の人生に学歴が必要でないのだったら、
第一志望以外に行っても幸せになれる」
ということです。
東進の『東大日本史問題演習』の予想問題3「近世の身分構造」はそのことを僕に教えてくれました。
あの問題は、武士は支配身分だからそれだけで幸せということではなく、たとえ被支配層の農民や商人でも、そのそれぞれの身分区分の中で上位にいる者は豊かな生活を送っていたのだと示していました。彼らの世界の中で幸せに過ごせるかは、支配者か被支配者かということは関係していないからです。
現実もそうだと思います。東京で見かける大人を見ても、彼らは
彼らそれぞれの過ごす世界の区分の中でだけ、上位に居たり、その世界の居心地が良かったりすることを追い求めているし、それで多分人間という動物の生き方としては適当なのだと思います。
受験というのはあくまで、とある能力に秀でた者が得する世界に入るための通過儀礼です。その世界に興味がない人は、そのまま無視していいのだと今は思います。プロスポーツ選手はヘブライ語が分からなくても生活が充実していそうです。一方で野球ができずともヘブライ語に秀で現地で活動をしている人はそれはそれで生活が充実していそうです。
「とある能力に秀でた者が得する世界」の「とある能力」は、高校生が思っている以上にあります。それが地域での社交性ならば地元の奥様集団の中で楽しい人生を過ごせるでしょうし、漁業の技術ならばかなりの収入を得て毎日美味しい魚食べて健康的な生活もできるでしょう。
今浪人生のあなたは、本当のところ「学問の世界に」魅力を感じているのですか?あなたが魅力を感じているのが「楽しげないわゆる大学生活」ならば、結局どこでもできる気がします。事実、仮面浪人をしようとしていた友人の多くは既に進学先の大学でサークルに所属し「いわゆる大学生活」の満喫の準備をしています。それでいいんです。未練がましいと、僕みたいに生きにくい人生になります。
一人の受験生が、実感が残っている最後に言い残したかったことは以上です。
よかったら少しだけでも覚えていてください。
さて、この記事を以て完全に更新終了と致します。
ブログを通じていろんな人に出会えました。本当に感謝しています。
今までにコメントしてくれた方はおそらく100近くになるので、とても全員個別に感謝は言えないですが、どうしても名前を挙げておきたい人を言うならば、高1の時にいろいろ考えるきっかけをくれたPOSEMANIACSの作者さんと、僕が東大を目指すうえでいつも参考にさせてもらっていたえばーさんと、僕の世界観をさまざまな面で拡張してくれためどべーちさん(多分、ブログ記事をコピーしとけば良かったとか言ってた記事に反応してくれたのも本人ですよね)、その3方に感謝です。
受験はもう壁ではなく地面になりました。次の壁がおぼろげながら見えています。
あとは何とかして、今目の前にあるその大きな問題を超えていくようにします。
時期はきっと悪くないはずです。
このブログの記事が、
いつかどこかであなたの役に立つことを願っています。
再三になりますが、
ご愛読ありがとうございました。
明日からは新ブログ
happy trashに書いていきます。
それでは、さようなら。
2011年4月24日 ブログ管理人 彼方